1974年、中国陝西省の畑から粘土で作られた人形の破片が発見されました。その後の発掘では、さらに地下から兵士や軍馬の等身大の兵馬俑が何千体も発見され、これが秦の始皇帝の陵墓であることが判明しています。
しかし発見から60年近くが経過した今も、皇帝の陵墓そのものは一度も開かれたことがありません。大きな歴史的価値があるにもかかわらず、なぜ考古学者らは始皇帝の墓を探索することを恐れているのでしょうか?
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考古学者が恐れる「始皇帝の陵墓」の罠
発掘が進まなかった背景にはまず、発掘によって始皇帝の墓が損傷し、重要な歴史的情報が失われるのではないかという懸念があります。
考古学の発掘における失敗例のひとつが、1870年代に行われたトロイの発掘です。この発掘を行った考古学者のハインリッヒ・シュリーマンは、焦りと知識不足により、発掘しようとした都市の痕跡をほとんどすべて破壊してしまいました。
また、始皇帝の陵墓を開けることは、もっと直接的で致命的な危険も伴う可能性があります。古代中国の歴史家である司馬遷は、秦の始皇帝の死後100年頃に書いた記述の中で「彼の墓には侵入者を殺すように設計されたブービートラップが仕掛けられている」と説明していました。
Craftsmen were ordered to make crossbows and arrows primed to shoot at anyone who enters the tomb. Mercury was used to simulate the hundred rivers, the Yangtze and Yellow River, and the great sea, and set to flow mechanically.
「職人たちは、墓に入る者を射るための弩と矢を作るよう命じられた。水銀は百の川、揚子江、黄河、大海を模して使われ、機械的に流れるようにセットされた」
この危険な「水銀の川」については、実際に存在する可能性が最近の研究で示されています。2020年に行われた調査では、この墓周辺の水銀濃度が一般的な土地の濃度よりもかなり高いことが判明しました。
また、始皇帝が「水銀好き」であったことも明らかになっています。英メディア「BBC」によれば、彼は不老不死の探求のために水銀を飲むことに夢中になり、水銀入りのワインをよく飲んでいたとのこと。そして水銀中毒により、49歳のときに逝去したとされています。
考古学者らは、素粒子であるミューオンを利用し、レントゲンのように墓の内部をのぞき見るという方法などを検討していますが、今のところ実現していません。これらの要因により、始皇帝の墓の内部は2000年以上もの間、謎に包まれたままとなっているのです。