花の香りを心地よく感じたり、食べ物の腐った匂いを不快に感じたりするのは、鼻にある「嗅覚受容体」と呼ばれる器官のおかげです。しかし、この受容体がどのように匂い物質を感知し、香りに変換しているのかについては、いまだ謎に包まれています。
これについて、初めて人の嗅覚受容体の正確な立体構造を明らかにする研究が、科学誌「Nature」に掲載されています。
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ヒトはなぜ400の嗅覚受容体で1兆もの匂いを識別できるのか?
ヒトの遺伝子には、多くの匂いを感知する400の嗅覚受容体をコードする遺伝子が含まれています。1920年代の研究者は、人間の鼻は約10,000の匂いを識別できると推定していましたが、2014年の研究では、実際には1兆以上の匂いを識別できると示唆されています。
嗅覚受容体は、臭気物質と呼ばれる匂い物質の一部としか相互作用できません。しかし、1つの匂い物質が複数の受容体を活性化することがあります。マングリック氏によれば、これは「ピアノで和音を弾くようなもの」とのこと。
1つの音を鳴らすのではなく、複数の鍵盤を組み合わせて鳴らすことで、独特の匂いを感じることができるのです。
しかし、哺乳類の嗅覚受容体タンパク質を再現することは非常に困難で、嗅覚受容体がどのようにして特定の匂いを認識し、異なる匂いを脳内で符号化するのかについては、ほとんど分かっていませんでした。
そこで研究者らが目をつけたのが、嗅覚神経細胞だけでなく腸、腎臓、前立腺の組織にも存在するOR51E2受容体です。OR51E2は、酢のような匂いの酢酸と、チーズのような匂いのプロピオン酸という2つの匂い物質と相互作用しています。
著者らは、OR51E2を精製し、原子分解能のイメージング技術であるクライオ電子顕微鏡を用いて、プロピオン酸を含む場合と含まない場合の構造を分析しました。さらにシミュレーションを用いて、タンパク質と匂い物質との相互作用を原子レベルでモデル化しました。
その結果、プロピオン酸がOR51E2と特異的なイオン結合と水素結合によって結合し、プロピオン酸のカルボン酸が受容体の結合ポケットと呼ばれる領域にあるアミノ酸、アルギニンに固定されることが判明。プロピオン酸が結合することで、OR51E2の形状が変化し、それが受容体のスイッチを入れていたのです。
これらの分子間相互作用は極めて重要です。「受容体の片側を押すと、もう片側がオンになることを理解するために、ドミノを並べたようなものです」とマングリック氏は述べています。
OR51E2受容体は、プロピオン酸と酢酸に特化しています。しかし研究者によれば「単一の匂い物質が、単一の受容体に結合することが全てではない」とのこと。OR51E2はクラスIとされている嗅覚受容体ですが、ヒトの嗅覚受容体遺伝子のうち、このタイプに当てはまるのは10%程度。残りはクラスII受容体とされており、通常、より幅広い種類の匂いを認識するそうです。
ニューヨークのロックフェラー大学の神経科学者、ヴァネッサ・ルタ氏は、これらの受容体はまた「両者は全く異なるメカニズムを持っているかもしれない」と指摘しており、「ヒトのにおい受容体の他の例を研究し、その構造を解明することは非常に重要です」と述べています。