イーロン・マスクは2008年からテスラを率いており、倒産寸前の新興企業から1兆ドル(約146兆円)規模の巨大自動車企業に成長させました。この影響もあり、彼の資産は2022年現在、27兆円を超える凄まじい金額になっています。
しかし、マスクはテスラの真の創業者ではなく、ある意味では「会社ごと乗っ取った」とも言える背景があります。これについて、海外YouTubeチャンネル「Logically Answered」が解説しています。
*Category:
イーロン・マスクの「テスラ乗っ取り」一部始終
テスラはもともと2003年7月1日にマーティン・エバーハートとマーク・ターペニングという2人の男性によって設立されました。そして、マーティンがCEOを、マークがCFOを務めました。彼らの夢は、バッテリー、コンピューターソフトウェア、独自開発のモーターを中心に、現代的なテクノロジーを駆使した自動車会社を作ることでした。
しかし、彼らには圧倒的に資金が足りていませんでした。ITベンチャーならともかく、自動車メーカーである以上は膨大な資金が必要になるのです。そこで、2004年2月にシリーズAラウンドの資金を調達することになります。その際に調達できた資金は650万ドル(約9.5億円)でした。
この資金のほとんどは、ある1人の個人投資家から調達されました。その投資家こそがイーロン・マスクです。当初のテスラはマスクから635万ドル(約9.3億円)、マーティンから7万5,000ドル(約1,000万円)出資されていました。
そして、マーティンとマークは、テスラチームの立ち上げに着手しました。その後、イアン・ライトを雇い、その数カ月後にはCTOとしてJB・ストローベルを雇いました。現在では、マスクを含むこの5人がテスラの創業者といわれています。
マスクは、初代テスラ・ロードスターの開発で積極的な役割を果たしました。しかし、会社の日常的な活動にはそれほど関与していなかったため、従業員というわけではありませんでした。ただ、マスクの初期のテスラへの最大の貢献は資本であり、彼は資本を供給し続けたのです。
シリーズAから約2年後、マスクはシリーズBの資金として1,300万ドル(約19億円)を調達し、事業成長投資会社であるValor Equity Partnersを資金調達チームに加えました。
そのわずか4カ月後、マスクはシリーズCの資金として4,000万ドル(約58億円)を調達し、彼の友人のエンジニアたちをテスラに参加させました。その友人の中には、Googleの共同創業者であるセルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、そしてeBayの前社長であるジェフ・スコールも含まれています。
マスクは、最終的に4回目の資金調達で4,500万ドル(約65億円)を調達。しかし、マスクの投資はこの後も続きます。なぜなら、2008年にテスラは倒産寸前まで追い込まれることになるからです。マスクは最終的に合計で1億8700万ドル(約274億円)を調達し、テスラを守りきりました。
それ以来、テスラは主に政府、他の自動車会社、一般投資家に資金を頼るようになります。しかし幸いなことに、あまり大きな株の希釈は必要としませんでした。そのため、マスクはIPO時に28.4%という株式を保有することになったのです。
一方、マーティンやマークなどの創業者たちは、資金調達にあまり貢献できなかったため、大きな利益を得ることができませんでした。マーティンとマークはテスラへの出資比率についての詳細を明かしていませんが、せいぜい1桁台だったでしょう。しかし、5%だとしても340億ドル(約4兆円)の価値があります。
では、なぜマーティンとマークはマスクのような大金持ちになれなかったのでしょうか。それは、彼らがテスラから追放されたからです。テスラをマスクが支配する前、マーティンとマークは同社の経営に関して、いくつかの壁にぶち当たっていました。
マーティンは、3大陸にまたがる非効率的なサプライチェーンを構築していました。ロードスターの部品や材料の多くは、アジア各地から調達していました。そして、イギリスで組み立て、安全性のテストを行います。最後に、北米に輸送して納車するという流れです。しかし、これでは効率が悪く、ロードスターの製造コストは購入価格よりはるかに高くなってしまうのです。
マーティンはこのことをあまり認めたくなかったため、ロードスターの生産コストがいくらになるかについては、投資家に嘘をついていたといわれています。マーティンは「ロードスターの100台目以降は6万5,000ドル(約950万円)で製造できる」と断言したとマスクは主張しています。
しかし、テスラのサプライチェーンがいかに非効率的であるかを知っていたマスクは、この数字に疑惑を抱きました。そこで、彼は車の詳細な内訳を調べました。すると、実情は12万ドル(約1,700万円)近いことが判明したのです。また、実際には最初の100台を超えたころは、材料費だけで1台あたり14万ドル(約2,000万円)もかかっていました。
このことを知り、マスクはマーティンの解雇に動きます。本来であれば、マーティンと話し合いの場を設け、お互いの意見をぶつけ合うのが筋でしょう。しかし、マスクはマーティンが国外で商談している間にクーデターを起こしました。
さらに、マスクはそのことが終わるまでマーティンに知らせようともしませんでした。 その後、マスクはマーティンにアドバイザーとしての地位を提供しようとしましたが、マーティンはこれをチャンスというより、侮辱と受け取りテスラを去りました。
こうして2008年初めにマーティンとマークはテスラを去ることになるのです。彼らは自分たちを追い出したマスクを訴えましたが、最終的には和解しています。和解の詳細は明らかにされていませんが「全員がテスラの共同創業者としてクレジットされる」という合意がなされたようです。これで正式に「イーロン・マスク」「JB・ストローベル」「イアン・ライト」が共同創業者となったのです。
ライトは、入社からわずか1年後に自分の意志でテスラを去っています。そのため、テスラへの出資比率はそれほど高くありませんでした。しかし、マーティンとマークは、テスラの株式を保有していた可能性が高いです。しかし、現在彼らが億万長者でないのは、おそらく株式の大半を売却してしまったからでしょう。
関連:イーロン・マスク「Twitterの社長クビね」〝ほぼ乗っ取り〟の衝撃買収、何が起こったのか時系列で完全解説