半導体関連の企業は数多くありますが、その中に「ASML」という企業があります。あまり聞き覚えのないこの企業ですが、その時価総額は、半導体関連の企業として第3位である3,000億ドル(約40兆円)です。
このオランダの企業は現在、半導体業界にとってなくてはならない存在となっています。ASMLがどのようにしてこのような大企業になったかを、海外YouTubeチャンネル「Logically Answered」が解説しています。
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半導体業界を裏で支えるASMLの成長の歴史
世界で1番大きな半導体関連の企業はTSMC、そして2位がNvidiaです。
この2社は世界的にも知名度が高い企業です。しかし3位には、インテル、クアルコムなどの有名な企業ではなく、ASMLというメーカーがランクインしています。
現在、ASMLの時価総額は世界第29位となっていて、AMDの2倍以上です。
また莫大な時価総額もさることながら、半導体のフロントエンド機器のマーケットシェアでは、ASMLは15.4%で単独2位であり、Applied Materialsに勝るとも劣らないシェアを有しています。
しかし、ほとんどの人はASMLの名前すら聞いたことがないはずです。
ASMLという企業は、1984年のオランダで始まりました。
当時、多くのチップメーカーがフォトリソグラフィと呼ばれる製造技術を実用化しようとしていました。フォトリソグラフィとは、光を使って薄い保護膜を作る技術です。
半導体の場合、シリコンウエハの一部を保護するために使われるのが一般的です。
この技術は、1820年にフランスの発明家ニセフォール・ニエプスが発明したものですが、半導体メーカーが本格的に活用し始めたのは1970年代に入ってからです。
その頃、「ロイヤル フィリップス エレクトロニクス」と「アドバンスト セミコンダクター マテリアルズ インターナショナル(ASMI)」という比較的小さな会社が、このプロセスで取り残されていると感じていました。
そこで、2社はASML(Advanced Semiconductor Materials Lithography)という合弁会社を設立することにしました。
ただ、ASMLの設立当初は、決して華やかなものではありませんでした。フィリップスは、オフィスの裏にあった小屋を一掃し、そこをASMLの新本社としました。
そして、その後数カ月間、ASMLはフォトリソグラフィーの開発と統合に注力しました。新しいプロセスを0から発明したわけではなかったため、PAS 2000ステッパーと呼ばれる最初のシステムを発表することにそれほど時間はかかりませんでした。
製品が稼働し始めたため、親会社はASMLへの投資を拡大することにしました。1985年には、ASMLはフェルトホーフェンにオフィスを新設し、工場もグレードアップさせ、従業員数も100人規模に拡大しました。
その後すぐに、ASMLは1986年に2番目の製品であるPAS 2500ステッパーを発表しました。
ASMLの製品ラインアップが増えるにつれ、レンズメーカーのカールツァイスなど、既存企業とのパートナーシップを築くようになっていきました。
フィリップスもASMLの台湾と米国での拠点開設を支援しました。ただ、すべてが順調だったわけではありません。
なぜなら、ASMLは優れた製品を生み出してはいましたが、特に目新しいもの、革新的なものを生み出せていなかったからです。そのため、ASMLは経費ばかりかさみ、収益も少なかったのです。
さらに悪いことに、親会社の1つであるASMIは、1980年代半ばに会社をたたむことになりました。そして、ASMIはASMLの50%の株式をフィリップスに売却し、半導体事業から離脱しました。
フィリップスは、ASMIから株式を買い取ったものの、ASMLの経営を楽観視できたわけではありません。フィリップスの投資家は、ASMLはもうダメだ、一刻も早く損切りをした方がいいと言い始めていました。
そこで、ASMLの幹部は、フィリップスの取締役であるヘンクボットに働きかけ、最後の取引にこぎ着けたのです。
それはフィリップスが、もう1度資金援助をするという話でした。ただ、それがうまくいかなかった場合、ASMLを閉鎖するというものでした。
ASMLは、PAS 5500と呼ばれる画期的なプラットフォームを発表しました。
PAS 5500 は、業界をリードする生産性と解像度を誇り、多くの企業が半導体を利用する動機となりました。この結果、ASMLは多くの利益を上げることができました。
しかし、順調な進展にもかかわらず、フィリップスはASMLからの撤退を模索していました。
そこで、1995年にアムステルダム証券取引所とニューヨーク証券取引所に、約10億ドル(約1,300億円)の評価額でASMLを上場させました。
フィリップスは上場時に持ち株の半分を売却し、その後数年かけてゆっくりと残りの株を売却していきました。
フィリップスはASMLを存続させるために多くの役割を果たし切っていたので、株を売却されてもASMLにとって大きな問題にはなりませんでした。
それ以来、ASMLはリソグラフィーの他に、トラック部門、サーマル部門、特殊用途部門の3つのカテゴリーに拡大しました。
トラック部門は、感光材料をウェーハ表面に塗布、現像、焼き付けする装置の製造に注力しています。サーマル部門は、加熱炉と成膜装置を製造している部門です。炉は製造工程でウェーハを加熱するために使用され、蒸着装置は化学蒸気を除去するために使用されます。
そして、特殊用途部門は、基本的にはカスタマイズの部門です。この部門は、他の部門が生産した製品を、顧客のニーズに合わせてカスタマイズしています。
例えば、ある顧客は、より大きなロットのウェーハを製造するために、より大きな炉を必要とするかもしれません。また、ある顧客は、より小さな炉を必要とすることもあります。このような、さまざまな要望に応えているのです。
これらの部門を見ると、ASMLがチップメーカーではないことは明確です。ASMLはチップメーカーではなく、チップ製造装置の製造が主な業務なのです。言い方を変えると、半導体の食物連鎖の頂点に立つ企業ということです。
iPhoneを購入すると、AppleはFoxconnにスマートフォンの製造を依頼します。そしてFoxconnは、TSMCにチップを調達するよう依頼します。
そして、TSMCはASMLに依頼して装置を調達します。
ASMLは一般にはほとんど知られていませんが、彼らがいなければ、基本的に何も出来ないのです。
1990年代後半はITバブルの真っ只中だったため、ASMLはバブルを利用して資金を調達し、イノベーションを継続しました。
当時のASMLは、追いつくための技術革新ではなく、市場をリードするための技術革新でした。
そして1996年、ASMLはステップ・アンド・スキャン・システムを発表し、競合他社を圧倒しました。この装置は、従来の60枚/時の2倍近い100枚/時の生産が可能でした。
これを見た米国エネルギー省は、Extreme Ultraviolet LLCプログラムを通じて、ASMLの米国でのシェアを拡大するよう要請しました。
このプログラムは、従来のフォトリソグラフィーをアップグレードして極紫外線を使用することを目標にしていました。
ASMLは、最終的にこの目標をクリアし、顧客もそれを喜びました。そして2000年には、ASMLは世界第2位の半導体サプライヤーに成長しました。
しかし、残念なことに、このタイミングがこれからの10年間で最も高い最高値となってしまったのです。